大判例

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東京地方裁判所 平成9年(ワ)20985号 判決 1998年5月29日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

内藤政信

被告

乙川太郎

右訴訟代理人弁護士

大野康博

主文

一  被告は、原告に対し、一五〇万円及びこれに対する平成九年一〇月一五日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その五を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一〇月一五日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

〔請求原因〕

一  原告と春子との婚姻

原告は、甲野春子(以下「春子」という。)と昭和六〇年に知り合い、昭和六一年一月五日に結婚式を挙げ、同月六日に婚姻届を出した。

二  原告の家族史

1 昭和六一年七月二日に長男大輔が生まれた。

2 昭和六三年六月、春子の母和子が癌で死亡した。

3 平成元年二月九日、二男裕次が生まれた。同年春、従前居住していた東葛西のアパートが立退きになり、北葛西へ転居した。家賃は倍くらいになったが、原告の仕事は順調で、並の生活はできていた。同年八月、家族で海に遊びに行った。

4 平成二年五月、原告の仕事場が立退きになり、仕事場が千葉県松戸市に移転したことから、原告の通勤が長時間になり、帰宅も遅くなった。

5 平成三年四月、取引先が倒産して夜逃げし、保証債務及び名義貸しの責任を負わされ、支払のために借金をすることとなった。二、三か月は仕事にならず、月々の支払は増え、生活は大変だったが、その後は、業績は回復して、立ち直った。

6 平成五年四月、長男大輔が小学校に入学し、二男裕次が幼稚園に入園した。同年一二月、都営住宅に当たり、現住所地に転居した。

7 平成七年四月、二男裕次が小学校に入学した。同年六月、春子の祖母が死亡した。同年七月、春子の父實が死亡した。同年八月、お盆休みに家族で伊豆に旅行し、久々に家族でのんびりと過ごした。

同年一〇月ころ、春子は、友人に頼まれ、「もみの木」(昼は喫茶店、夜は居酒屋)でアルバイトを始めた。

8 平成八年五月の連休、原告の家族は水元公園へ釣りに行き、同年八月は海に行った。同年暮れころから、春子は、子供たちが手が離れたとの理由で、午前一〇時から午後四時まで、週四日間、花屋でアルバイトを始めた。

9 平成九年春ころ、スナック「珍島」に火曜日だけアルバイトを頼まれ、午後八時から午前二時まで勤めることになった。同年五月の連休は、原告は子供と釣りに行った。

三  春子の不倫への疑念

1 原告が春子の行動に疑問をもち始めたのは、平成九年五月の連休中で、春子が朝六時に帰宅したことが発端であった(なお、春子は、それ以前にも何度か、午前四時、五時の帰宅があった。)。

連休中の朝帰りのときに、原告は、春子に対し「どこで何をしていたのか」と問うと、春子は「友人と数人で飲んでいた」と返事した。

2 同年六月の終わりころから、春子は、午前四時、五時の帰りが普通になってきたので、原告が何度か文句を言うと、「友達と飲んでいるので、しょうがないじゃない」「いいじゃない」との返事を繰り返した。

原告は、春子が不倫しているとの疑いを強め、春子の持ち物を調べてみたところ、小物入れの中に水道料金の領収書や部屋の鍵、車の鍵が入っており、水道料金の宛名には被告の氏名が記載されていた。

四  春子の不倫の発覚

1 原告は、春子の不倫の相手としては被告が怪しいと思い、被告の住所を探し出し、同年八月一〇日午前四時から五時にかけて、被告のアパートを見張っていた。すると、午前五時頃に、春子と被告の二人が一緒にアパートから出て来るのを見て、原告は、先に帰り、春子の帰りを待った。

2 春子が帰ってきたので、原告が「どこで何をしていたのか」と問うと、いつもと同じ答が返ってきたので、原告が「ふざけるな」と強い口調で怒鳴り、「どこにいたか知ってるんだぞ」と問い詰めると、春子は被告との関係を白状した。

3 そこで、原告は、春子を連れて、被告のアパートに赴き、初めて被告と会った。原告が被告に対し「どういうつもりか」と問うと、被告は「本気だ」「一緒になりたい」と答えた。原告が「いつごろから付き合っているのか」と聞くと、被告は「去年(平成八年)の暮れころから」と返事した。

原告が春子に対しても「どういうつもりか」と聞くと、春子は「わからない」との返事をしたので、原告はどうしていいかわからなくなり、先に、その場を離れ、家に帰った。

五  春子の家出

その後、原告と春子との関係は、急速に悪化した。春子は、同年八月一六日(土曜日)に帰宅せず、翌一七日の夜七時ころ帰宅したので、原告と口論となり、その日のうちに、春子は、子供二人を連れて、被告方に行き、その後現在に至るまで、被告と生活を共にしている。

六  離婚調停の申立て等

現在、春子は、原告に対し協議離婚の申し入れをし、その後東京家庭裁判所に離婚調停を申し立て、これに対し原告が離婚について合意しなかったため、不調となったが、その後、原告から提訴がなく、現在に至っている。

七  被告の不法行為

被告は、春子に夫がいることを知りながら、春子と長期にわたり情を結び、発覚後も悪びれることなく、継続して交際し、原告の夫婦関係に亀裂を生じさせ、ついには、原告の家族関係を破局に至らせた。

被告は、原告に対し精神的苦痛を与えた。原告の精神的苦痛を慰謝するには、一〇〇〇万円が相当である。

八  よって、原告は、被告に対し、慰謝料一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一〇月一五日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

〔請求原因に対する認否〕

一  請求原因一の事実は不知。

二  請求原因二の事実のうち、平成七年一〇月ころ、春子がその友人に頼まれ、もみの木でアルバイトを始めたこと、平成九年春ころ春子がスナック珍島に火曜日だけアルバイトを頼まれ、午後八時から午前二時頃まで勤めることになったことは認め、その余の事実は不知。

三  請求原因三の事実のうち、春子の持ち物の中から、被告名義の水道料金の領収書等が出てきたことは認め、その余の事実は不知。

春子が被告の水道料金の領収書を所持していたのは、次の理由による。

被告は、平日の昼間は仕事が忙しく、また、独身であることから、アパートの水道料金の支払を遅滞していたところ、たまたま、飲み仲間との談笑の中でその話が出て、昼間時間の余裕のある春子が代わりに払ってあげることになったものである。

四  請求原因四の事実について

1 同四1の事実のうち、平成九年八月一〇日午前五時ころ、被告と春子が一緒に被告のアパートから出てきたことは認め、その余の事実は不知。

平成九年八月九日深夜から、被告は、被告方で、春子は、もみの木の同僚である生井澤すみ江(四二歳)及びその客である渡部元二(五五歳)の四人で、酒を飲み談笑していたものであり、翌一〇日午前五時ころ、被告は、春子を送るためアパートから出てきたにすぎない。原告主張の時点で、他の二人は、未だ被告方にいた。

2 同四2の事実のうち、春子が被告との関係を白状したとの点は否認し、その余は不知。

3 同四3の事実のうち、原告が平成九年八月一〇日の早朝に春子を連れて被告方に来たこと、そこで被告と初めて会ったこと、原告が被告に対し「どういうことだ」と問うたこと、原告が先に一人で帰ったことは認め、その余の事実は否認する。

被告と春子は、原告が邪推するような関係ではないことから、原告にその旨を伝えたにすぎず、被告が「本気だ、一緒になりたい」などと答えたことはない。

五  請求原因五の事実のうち、平成九年八月一七日の夜、春子が子供二人を連れて被告方を訪れ、その後現在に至るまで被告が春子及びその子供二人と同居していることは認め、その余の事実は不知。

平成九年八月一七日、春子は、原告から痣ができるほど殴られ、原告に家を追い出されたことから行くところがなくなり、子供二人を連れて被告方を訪れたものである。

被告は、原告が春子と子供二人の生活の面倒を見ず、また、原告の春子と子供二人も他に行くところがないことから、気の毒に思い、やむなく彼らの同居を認め、彼らの生活の面倒を見ているにすぎない。

六  請求原因六の事実は認める。

七  請求原因七の事実は否認し、主張は争う。

春子は、被告や飲み仲間に対し、常々夫との不仲について愚痴をこぼしており、原告と春子との不仲(破局)は、被告とは無関係に、相当以前から存在していた。

理由

一1  請求原因一の事実(原告と春子の婚姻)は、弁論の全趣旨によって、認めることができる。なお、甲二によれば、原告は昭和三二年六月一一日の生まれであり、春子は昭和三五年一二月一六日の生まれであることが認められる。

2  請求原因二の事実(原告の家族史)のうち、平成七年一〇月ころ、春子がその友人に頼まれ、もみの木でアルバイトを始めたこと、平成九年春ころ春子がスナック珍島に火曜日だけアルバイトを頼まれ、午後八時から午前二時頃まで勤めることになったことは、当事者間に争いがなく、その余の事実は、弁論の全趣旨によって、認めることができる。

3  請求原因三の事実(春子の不倫への疑念)のうち、春子の持ち物の中から、被告名義の水道料金の領収書等が出てきたことは当事者間に争いがなく、その余の事実は、弁論の全趣旨によって、認めることができる。

なお、被告は、右の事実について、春子が被告の水道料金の領収書を所持していた理由について、被告が昼間自ら水道料金の支払ができないため、春子が代わりに支払ってやったにすぎないと主張し、被告本人及び証人春子も、尋問において、同趣旨の供述をするが、にわかに信用することができないものの、仮に、真実、そうであるとしても、春子のバックの中に入っていた下着などとあいまって、被告と春子との関係は相当程度親密になっていたことを物語るものであり、単なる客や飲み友達以上の関係にあるとの原告の推測を邪推であると断じ切れるものではない。そもそも、春子の一連の外形的な行為(原告に対する弁解の態度及びその内容を含む。)は、事の真相はともかく、春子の不貞行為を強く疑わせるものであって、それにもかかわらず、原告に疑わないよう要求することは、原告に馬鹿になれと要求するに等しいものである。

二  請求原因四の事実(春子の被告との不倫)について

1 証拠について

被告訴訟代理人は、原告本人の反対尋問において、何度か、原告本人の作成した大学ノートに書かれてあった内容を引き合いにして質問を行ったので、当裁判所は、そのような書証が提出されていないことに疑問を抱き、被告訴訟代理人に対し「その大学ノートとは何か」と質問したところ、被告訴訟代理人は、後に提出する予定の書証の写しとして、乙四の大学ノートを提示したうえ、後に提出する書証として原告本人に提出し、これに対し、原告訴訟代理人は、そのような窃取したような文書は証拠として提出することに異議があると主張しているので、判断する。

わが民事訴訟法は、刑事訴訟法と異なり、証拠能力については規定しておらず、すべての証拠は証拠能力を付与されるかのごとくであるが、当該証拠の収集の仕方に社会的にみて相当性を欠くなどの反社会性が高い事情がある場合には、民事訴訟法二条の趣旨に徴し、当該証拠の申出は却下すべきものと解するのが相当である。

これを乙四の大学ノートについてみると、同文書の記載内容・体裁、甲六の原告の陳述書の記載内容との比較対照の結果、原告本人の供述を総合すると、乙四は、原告本人が甲六の陳述書の原稿として弁護士に対し差し出したものか又はその手元控えであることが明らかであり、そのような文書は、依頼者と弁護士との間でのみ交わされる文書であり、第三者の目に触れないことを旨とするものである。乙四は、おそらく春子が原告と別居後に原告方に入り、これを密に入手して、被告を介して、被告訴訟代理人に預託したものと推認される。そうすると、乙四は、その文書の密行性という性質及び入手の方法において、書証として提出することに強い反社会性があり、民事訴訟法二条の掲げる信義誠実の原則に反するものであり、そのような証拠の申出は違法であり、却下を免れないというべきである。特に、乙四には、これを子細にみると、被告に有利な点もあれば、不利な点もあり、被告は、突然として、後出の書証として、提示し、そのうち有利な点をあげつらって、反対尋問を行おうとしたものであって、許容し難い行為である。

2  原告本人の供述(甲六の陳述書を含む。他の人証について同じ。)、並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、水道料金の領収書から被告の氏名を知り、その住所を捜し出し、平成九年八月一〇日の深夜から早朝にかけて、被告のアパートの前で見張っていたことが認められ、午前五時ころ、被告と春子が一緒に被告のアパートから出てきたことは当事者間に争いがない。

この点について、被告は、被告が前日深夜から被告方で春子のほかいつもの飲み友達と談笑するなどした後、春子を送るためアパートから出てきたにすぎないと主張するが、被告の右主張の真否を判断するためには、物証がない以上、汚染された証人から真実の供述を得るには、被告の主張する関係者を全員一堂に喚問し、各自隔離のうえ、尋問をする必要があるが、被告は、そのうち女性のみ証人として申出しているにすぎず、不十分である。仮に、被告の主張するとおりであるとすると、被告及び春子は、狭いワンルームのマンションにおいて、男女四人が、深夜から明け方まで、数時間にわたって、酒を飲み、談笑していたというのであるから、隣室等の住人に多大な迷惑をかけているはずであり、分別盛りの齢四〇歳前後の社会人の行為としては極めて非常識で、あまりにも考えにくい愚行である。二人が早朝連れ立って出て来たその直前に、被告と春子との間に情交関係があったか否かについて、当裁判所としては、これをいずれとも決することを避けるが、いずれにしても、被告と春子との不倫行為の存在を推認させる間接事実であることに変わりはない。

3  原告本人の供述、並びに弁論の全趣旨によれば、二人の姿を現認した原告は、二人に声をかけることなく、一足先に自宅に戻り、春子の帰りを待ち、春子を大声で難詰すると、春子から、いつもの答えが返ってきたことが認められる。しかしながら、春子が被告との関係を白状したとの原告主張の点は、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

4  原告は、同日の早朝に春子を連れて被告方に赴き、そこで、被告と初めて会い、原告が被告に対し「どういうことだ」と問うたこと、原告が先に一人で帰ったことは、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、その際の原告と被告及び春子とのやりとりについてみるに、原告本人は、本人尋問において、原告の「どういう関係か」との質問に対し、被告は「見てのとおりだ」と答え、「どういうつもりだ」との質問に対し、被告が「本気だ」「あなたは春子を幸せにできるか」「一緒になることも考えている」などと言ったことから、原告は、もう二人はできているな、もう負けだなと思い、言い返すことばもなく、春子に対し「お前はどうなのだ」と言ったところ、春子は「まだわからない」と答えたと供述している。

被告本人及び証人春子は、尋問において、原告本人の右の供述の一部を否定するが、いずれも原告本人の供述を否定するにとどまっているため、原告が被告及び春子を問詰したことは明らかであるのに、これに対する被告及び春子の対応がどうであつたのかについて、単に不明とならざるを得ない。仮に、被告が春子との関係を否定していれば、二人の不倫行為を確信している原告とこれを否定する被告との間に激しい対峙応酬があったはずであるのに、そのような激しいやりとりがなかったことは、原被告の本人の供述及び証人春子の供述によっても明らかである。被告は、原告が言い返さなかったという供述が不合理で、通常人であればとらない態度であるかのごとく主張するようであるが、被告が不倫関係を認めるといういわば開き直った態度をとったことにより、原告としては、もはや問詰することはなくなったといえるのであるから、原告がそれ以上の言動に出るとしたら、もはや暴言・暴力などしか考えることができず、原告本人の供述する右の態度には不自然・不合理な点はないというべきである。

そうすると、原告と被告及び春子とのやるとりは、原告本人が供述しているとおりに認定するのが相当である。

三  請求原因五の事実(春子の家出)について

1  平成九年八月一七日の夜、春子が子供二人を連れて被告方を訪れ、その後現在に至るまで被告が春子及びその子供二人と同居している事実は、当事者間に争いがない。

被告は、この点について、原告が春子と子供二人の生活の面倒を見ず、また、春子と子供二人も他に行くところがないことから、気の毒に思い、やむなく同居を容認し、その生活の面倒を見ているにすぎないと主張するが、証人春子及び被告本人の各供述によっても、被告と春子親子が同じアパートの二階の広い部屋(二DK)に移り住んだ平成九年一一月以降に初めて、被告と春子は情交関係に入ったとされており、単身生活者である被告が、子連れとはいえ、既に夫である原告に疑われていることを認識しながら、その女性を自分の住居に住まわせることは、軽率極まりなく、右の出来事も、被告と春子とはそれまでに既に相当進んだ男女関係にあったと推認させる間接事実である。

この点に関する被告の弁解は、一人前の社会人のいうべき弁解とはとうていいうことはできない(もっとも、被告本人は、本人尋問においては、軽率な行為であったと供述している。)。

2  甲四、五、被告本人の供述によれば、被告は、昭和三八年二月一〇日の生まれであり、昭和五八年六月四日にOと婚姻し、二人の男児をもうけたが、平成六年四月一一日に調停離婚をしたこと、同年六月一三日にSと婚姻し、Sの二人の男児と養子縁組をしたが、平成九年九月二日、協議離婚をしたことが認められる。なお、被告本人の供述によれば、被告は、二度目に結婚したSともかなり早くから不仲になり、早急に家を出るように言われていたが、住む住居を確保するには、平成九年六月に支給されるボーナスでその資金に当てるほかないため、結局、同年七月四日にSのもとから出たが、それまでの長い間、家庭内別居を続けていたことが認められる。

3  請求原因六の事実(離婚調停の申立て及びその不調等)は当事者間に争いがない。

四  請求原因七の被告の不法行為責任について

1  以上認定判示した事実のほか、証人春子、原被告の各本人の供述に基づいて、被告の不法行為責任について検討する。

原告と春子夫婦は、その間に二人の男児に恵まれ、原告は板金塗装業を自営し、標準的な収入を得て家計を支え、春子は専業主婦として子供の養育に当たり、人並みに幸せな結婚生活を送っていたということができる。確かに、原告は、口数は少ないうえ、原告の稼働時間や通勤時間が長いこともあって、もともと原告と妻及び子供とが一緒に過ごす絶対時間が少なかったため、春子の不満となっていたもので、平成七年、八年ころ、子供が手がかからなくなり、しかも、折から母、父、祖母を相次いで亡くした一人っ子の春子にとって、その心が家庭サービスの乏しい夫から、外の世界に向かっていき、やがて深刻なものに変化していったことが想像される。そうした春子の心の変化について、原告は、必ずしも十分な理解を示さず、あいかわらず、従前と同様な生活パターンを繰り返していたもので、そうした春子の満たされない心の透き間、乾きの中に、登場したのが必ずしも健全とはいえない深夜の飲み友達であり、そのうち、自らの家庭生活を顧みず、単身同様の放縦な生活を送っていた被告と特に親しくなり、夫である原告にはないものに惹かれていったものと推察される。

2  前記認定判示の事実によれば、春子が妻としての節度を越えて被告と親しくなった時期は、平成九年八月一〇日以前であり、春子が妻としての貞操義務を放棄した時期は、春子が子供を連れて被告方に赴き帰宅を拒んだようになった同月一七日ないしその数日経過後であると推認される。

この点について、被告は、二人が男女の関係になった時期は平成九年一一月の時点であると主張し、被告本人も、そのように供述しているが、前記認定事実に照らし、とうてい信用することができるものではない。そして、被告と春子は、できれば、結婚したいと願望していると明言してはばからない状況にある。

3  そうすると、原告と春子の夫婦は、もはや破綻し、復元の合理的な可能性はないものといわざるを得ない。その原因は、確かに、妻や子供の心の状態を知ろうとする努力を十分にしなかった原告にもないではない(もっとも、世の中には、原告のように帰宅時刻が夜の一〇時や一一時になる働き盛りの男性も少なくはないのであって、そうした夫婦が全部離婚の危機にあるとも思われない。反対に、春子や被告のように、週に二日も、三日も、深夜から明け方まで酒を飲み談笑に耽ること(もっとも、この点については、被告や春子が尋問においてそう供述しているだけにすぎず、そのうち相当時間は二人だけの酒の入らない耽美な時間も含まれていたかもしれないが)の方が、はるかに異常であり、世の中にそう多数存在しているものとは思われない。)。

しかしながら、原告と春子夫婦が破局に至った根本的な原因は、春子が、日常性の中にある、変化には乏しいものの、永続的で堅実なものに対する生き甲斐を軽視し、将来を展望しようとしない享楽的・退廃的な喜びを追求しようとした点にあり、かつ、春子が、夫婦について誤った又は乏しい倫理観の被告と偶然の出会いをし、特異なその生き方に影響され、妻として、母として進むべき道を誤るに至った点にあると推察される。原告との結婚を破綻させた春子の責任は、重大であり、将来、その責任をわが子にどう説明するのか理解に苦しむところである。また、被告は、年こそ、春子よりも若いが、既に二回の結婚歴もあり、男女の関係、夫婦の有り様についての理解・経験は、実質的には春子よりも先輩であったのにもかかわらず、春子を善導するどころか、当時妻から出て行くようにいわれていて身軽な身であったことを幸いに、春子を誤導し、結果として、二人の子供のある一組の夫婦を破綻させた責任はゆるがせにできない。特に、弁論準備手続において、被告の責任の有無を問うたところ、全く責任を否定していたことがあり(もっとも、本人尋問においては、これを改め、責任を認めている。)、社会人としての見識を疑わざるを得ない。

なお、被告は、春子が被告や飲み仲間と常々原告との不仲について愚痴をこぼしており、原告と春子夫婦は、被告とは無関係に、相当以前から破綻していたと主張するが、春子は、証人尋問において、原告が春子と平成九年八月一〇日に被告方を訪ね、原告から難詰された際に、「原告と別れることについて決心はしていない」と言った旨供述しており、その時点で、春子は原告と離婚することを決断していなかったのであるから、被告は、その気になれば、原告と春子夫婦の破綻を避けることができたものというべきである。被告が春子と親しくなった時期には、未だ原告と春子夫婦は破綻していなかったことが認められ、被告の右主張は採用することができない。

その他、本件にあらわれた一切の事情を総合すると、原告の精神的な苦痛を慰謝するには、一五〇万円が相当であるということができる。

五  以上のとおりであるから、原告の請求は、慰謝料一五〇万円及びこれに対する平成九年一〇月一五日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。

(裁判官塚原朋一)

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